またまた、悪事が白昼にさらされました。日本人のからだを作ってきた主食の米の「事故米」が混ぜられていました。少量とはいえご飯になり「いただきま す」と食べられた方もいると報道されています。その当事者「三笠フーズ」は糊や工業用に用途の限定された汚染米、かび米を儲けに欲がからんで食用に横流し をした。
そもそも日本人は米を主食としてきました。農家は遺珠として落ち穂を拾った。だから米ひとつぶをも大事にする思いが日本人の心の中に脈 々と流れています。小米、古米、古々米、また外米など用途に応じて使い、もち、せんべい、お菓子などに工夫した。そして口にするたべものには人の心にもと るものとして、決してまがい物は作られなかった。
まもなく新米が食卓に上がります。それまでが端境期で残り少ない米にはよく穀象虫がわきました。よけいに炊き立ての新米は糠臭さもなく、一家団欒のひとときを盛りあげました。
土竜(編集長)
北京五輪はとっても見物のし甲斐がある。
開会式の前から、フランスでひと悶着が起きました。聖火の通る道におびただしい五星紅旗とチベット民族の数少ない旗が応援合戦です。日本人は概して判官びいきですものね。日本へは逆効果をもたらしました。偏屈中国人は「カルフールで商品を買うな」と叫び、サルコジ仏大統領も負けじと「それなら開会式に行かない」と元気に答えました。腫れ物であった中国の人権問題は白昼にされされました。日本では善光寺にミソをつけられました。「すべての宗教もOKです。ただし寺内での争いは御免こうむります」と。
開会式では「クチパク」(可哀相です。こどもの人権台無しでした。)「CGの花火」(日本でもテレビでよくあること。が、こどもにとってバーチャルとわからず悪影響です。)などザレゴトがゾロゾロと現れました。
酷暑がつづく今年の夏ですが暑さしのぎになったテレビ観戦でした。
土龍(編集長)
Posted by admin at 09:14:26 on 2008/08/22
ルリカケスが絶滅危惧種の指定から解除された。鹿児島県や奄美大島にすむ鳥です。名前の通り、頭、胸、翼がとても綺麗な瑠璃色をした鳥で、日本の切手の図案にもとりあげられている。
林や森が回復して捕食する虫の数が増えた事により生息数が増加しました。
このように環境が改善されればレッドリスト載っている動物も種が絶えずに生き残れます。イタセンパラ、タナゴ、こうのとりなども河川の汚濁や棲家となる場所の改善により、生き残れました。反対に森林が減りニホンオオカミは絶滅しました。農村の川が汚れ、食べ物にするカワニナがいなくなり蛍は見ることが出来ません。
とりもなおさず、人間にもあてはまる自然界の法則です。この地球に住み続けられるかは環境が良き標となっています。大気汚染を食い止め、水を汚さないように気をつけることは日常のチョットしたことで実行できます。生物が生きられる惑星はいまのところ地球だけである。このことを肝に銘じなければならない。
土龍(編集長)
携帯が犯罪の周辺武器になった。秋葉原で起きた17人の無差別殺傷事件で犯人は犯行予告を『掲示板』に書き込みをした。
携帯は使う目的を間違えさせしなかったら今日の情報時代では万能の寵児に違いない。ところが子供達は携帯からインターネットに接続、『学校裏サイト』でいじめをし、『プロフ』を『出会い系』に使う子がいる。
次の数字は1年間に内閣府が小、中、高校生を対象に意識調査したものです。小学生の31.3が携帯を利用、27.0%は携帯でインターネットに接続している。また中学生は57.6%と56.3%、高校生が96.0%と95.5%である。高校生はほぼ全員がネットを利用、大人の闇の社会に興味を持ち覗いているのではと危惧されている。
有害情報から子供達を守るには、『ケータイがほしい』と子供に言われたとき親の責任が重大で、その時たしかな信頼関係を結べるかがポイントだ。
土龍(編集長)
5月10日、中国の胡錦涛(こきんとう)主席が来県し、唐招提寺にある鑑真和上(がんじんわじょう)の御廟(ごびょう)に参拝した。いま主席は国内外に多くの問題をかかえている。
にもかかわらず、忙中鑑真和上入寂(にゅうじゃく)の時に合わすかのように参拝したので感激している。御廟で手を合わせて何を念じたのか。
ときは聖武天皇の時代、佛教界はたいへんに乱れていた。天皇は戒律僧を招聘(しょうへい)するため遣唐使派遣する。揚州大明寺の高僧、鑑真和上は蒼海の藻屑となっていく多くの僧、経典を何度もまのあたりにする。しかし戒法を日本に伝える志は高い。井上靖著「天平の甍」に詳述されている。
閑話休題。若葉香る唐招提寺に足を踏み入れると、鑑真和上に受戒する夥しい僧侶の読経が耳をつく気分。その音声はいま日中間にある問題をかき消すかのようだ。これからの日中関係は唐の一高僧の偉大で超越した心を見習って交流をはかれ。瑣末なことにとらわれると長い日中交流で培われた宝も失う。胡主席もそれを念じて参拝したのではないか。
土龍
業界の総会で静岡県・掛川に行った。お茶の産地として全国に知られている。♪夏もちかづく八十八夜〜と歌にある通り、丘一面に広がった茶畑は新芽の色が輝いている。
茶は健康によい。諺に「朝茶は七里帰っても飲め」と。朝の茶を忘れたら、七里の道を戻ってでも飲むべきだと言う意味だ。そしてまた世界中の人々に良く愛飲されている。
日本では茶の湯として人々のこころに浸透した。室町時代、村田珠光が茶の湯の作法を確立し、その簡素静寂の真精神は「われらの住居,習慣、衣食、陶漆器、絵画等ー文学でさえもー全てその影響をこうむっている。」(岡倉覚三 村岡博訳 茶の本より)
早朝、九重旅館で鶯が鳴いていた。
「ホー、ホケキョ、ケキョ、ケキョ」『もう、日本人、しつけ、めちゃくちゃ』とも聞き取れたのは鶯の鳴き方が変わったのか?
夕月夜(ゆづくよ)海すこしある木の間かな 『茶話指月集』
土龍(編集長)
新しい学習指導要領の内容では公共の精神や伝統、道徳心の育成が重視された。
これから教育のカリキュラムに取り込まれるがその緊急性と息の長いことは論をまたない。
目の触れる場所で「化粧をする」「立ち食いをする」「乱れた服装をまとう」「騒音やゴミで近隣に迷惑をかける」などマナーの欠如はもう社会に蔓延している。「親を殺害する」「幼児を虐待する」など命を軽視した犯罪などはひんぴんに起きている。
これ以上の物質文明は享受できない時代に生活しながらどうしてこんな現象が発生したのか。これまでの対策がいかに無力だったのか。メディアがどうの社会がどうのと無責任な犯人捜しはもう差しおこう。
「社会ではこれが正しい行いだ」と家庭で一つ家庭で一つ、学校で一つ、社会で一つと範を垂れてこそ効果が上がろう。
土竜(編集長)
「唐書」に「創業は易く守成は難し」という故事があります。唐の太宗が帝王の業は創業と守成のどちらが難しいかと尋ねたときに魏徵が答えた言葉です。
経済の創成期だからたやすかったとは言えませんが創業者には苦労や苦心を重ねた歩みがあります。それが家訓や社訓で今も生きている。
ところがその創業者の精神が雲散霧消したのが今年頻発した事件ではなかったのか。
今の言葉で言えば企業の社会的役割や責任の欠如と言えるだろう。利益の追求だけが一人歩きしているのが実情である。
一言尋ねたい。「ミートホープの社長さん、赤福の社長さん自社のものが最高だと自負され食されますか」。「社長さんのご家族にも勧められますか」。
「此暮もまたくりかえしおなじ事」杉風
土竜(編集長)